安心のことば

長福院では、法話と写仏の「安心行の集い」を毎月行っています。そこでは、様々な仏さまの写仏や塗り絵を楽しみながら、仏教のちょっといいお話(法話)をご紹介しています。ご興味がある方は、ぜひお問合せください。

「仏教」って何だろう・・・・・・

 皆さんは「仏教」という言葉を聞いて、どのようなことを連想しますか?おそらく「葬式・法事」といったことが真っ先に連想されるのではないかと思います。これらの行事は「滅罪供養」と称されるものであり、確かに「仏教」において重要な事柄です。しかし、「仏教」という教えの中からすれば、ほんの一部にしか過ぎないのです。
 では、「仏教」とは何なのでしょうか?皆さんもご存知かと思いますが、「仏教」を開かれたのはお釈迦さまです。つまり、お釈迦さまがわれわれ人間に伝えたかったことが「仏教」の基本となるわけです。

「仏教」とはあきらめること・・・・・・

 このように書くと「何それ?」と思われるかもしれません。しかし、実際にお釈迦さまもあきらめて仏陀となられたのです。そうすると「へぇー、じゃあお釈迦さまは修行を断念して仏陀になったのか。」と連想される方もいらっしゃるかもしれません。おそらくこのように考えられた方々の頭の中には、「諦める(あきらめる)…」という漢字がイメージされたのではないでしょうか?確かに、この字には「物事を断念する」という意味もあります。しかし、お釈迦さまはそうではなく、「明らめる(あきらめる)…」ことをして「仏陀」になられたのです。この「明らめる」は、物事の事情、理由をあきらかにすること、心をあかるくすること、を意味しています。仏教では、この明らめることは「明(みょう)=真実に目覚めること。」を獲得することになります。つまり、お釈迦様は、この世の中の真実(本当の意味・理由)を、人間として明らめて「仏陀」となられたのです。
 つまり「仏教」とは、人間の存在価値を明らめる教えなのです。
「仏教」とは、決して雲のように遠い存在の教えではありません。われわれ人間社会の実生活に活かされてこそ光り輝く教えなのです。

 「安心行の集い」では、以上のようなお話をお伝えしています。ご興味を持たれた方は、ぜひお問合せのうえお越しください。(毎月不定期開催のため、ご興味のある方には開催日をお伝えします。)

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